ここ3日間、実習生がきていました。診察の見学を許していただき、飼い主のみなさんには大変感謝しております。学校ではわからない、現場の様子を間近でみることには大きな意義があります。ご協力、本当にありがとうございました。

実習生を受け入れるたびにおもうことは、いまは知識も技術も少ない学生であっても、それは私との経験年数の違いにすぎず、その潜在能力は私などよりもずっと上かもしれないということです。だから、実習生が来ると気が引き締まります。

いまでは世界的名プレーヤーになったサッカー選手も、はじめてグラウンドにたったときには大したことはできなかったでしょう。それと同様に、動物の医療という世界でまだまだひよこだとしても、眼の前の実習生は私など足元にもおよばぬ逸材かもしれない。いえ、そうあってほしいともおもいます。

ときに「すごい能力を持っているなあ」と感心する学生に出会うこともあります。優秀な人材を迎えることはとてもうれしいことです。できれば、ともにこの病院で働き、よりより病院にしていただけたらとおもうこともあります。

自分が子育てをするようになって、こんなふうな考え方、つまりは「自分よりずっと優れた人間かもしれない。しっかりと接しなければならない」という考えを持つようになりました。いま、長男も次男も幼い。できることも話すことも幼い。でも、いつか自分をはるかにこえる大人になってほしいと願う。

大村はまさんの『新編 教えるということ』に、こんなことが書いてありました。

教師はやはり子どもを尊敬することがたいせつです。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が「先生」になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないのです。劣ってなんかいないので、年齢が小さいだけなのです。子どもたちを心からたいせつにするということはそういうことを考えることです。

それは小さい子どももそうではないかと思います。実にすぐれたものやいいものを持っていて、とても自分の相手ではありません。しかし私の教えている子どもがみんな私より上でなくて、私ぐらいのところでとまったらどうしましょう。たいへんですね。ですから、子どもはほとんど全部教師よりずっとすぐれていると思って間違いなしです。そういう敬意といいますか、尊敬を心から持って、この宝物をたいせつにしたいと思います。

実習生には勉強の大切さを伝えることがありますが、そんな当たり前のことを言う前に、自分自身が勉学に励まないといけないともおもっています。遅い時間に帰宅すると、つい気を緩めて、だらだらと時間を過ごすことがあります。

木村はまさんは、こんなふうにも書いています。

もっともっと大事なことは、研究をしていて、勉強の苦しみと喜びとをひしひしと、日に日に感じていること、そして、伸びたい希望が胸にあふれていることです。

どんな古い方法でも、今までやった方法でもよかったら、すぐにでもやれます。

けれども、それでは老いてしまうと思います。それは精神が老いてしまうことです。未来に対して建設できないなら、私は、さっさとやめた方がよいと思っています。

実習生の手本となるよう、日々の研鑽にも努めたいところです。

写真は台湾で撮ったもの。台湾の獣医大学に実習に参加したことがあって、夜の自由時間のときにおとずれたナイトマーケットでの一枚です。