小堀鴎一郎『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』を読みおえました。

最期をどう迎えるか、それは本人の意思だけで決まるわけではない。住みなれた自宅で最期を迎えたいと望みながら、いざ、病状が悪化したとき、まわりの家族があわてふためいて救急車を呼び、暗い病院で死ぬことになった患者。あるいは病院の反対を押し切って、自宅に戻り、望んだような穏やかな死を迎えられた患者。

入院死か在宅死かの選択は、その患者とその家族にとって望ましいかどうかの総合判断で決定されるべきである。死は「普遍的」という言葉が介入する余地のない世界である。

ある個人の死について考えるとき、それはその人にとっての死であって、他人の死ではないという当たり前の事実。その人にとっての死は唯一のものであるという事実。

死に際した患者が尊厳を伴う有意義な人生の細い糸をいかに保つか、ともに初心者として考え抜くべきであり、その中に彼自身(注:アトゥール・ガワンデ氏)も、医師として、一人の人間として含まれていると。

死について、あるいは生について、私たちは常に初心者としてふるまわなければならないのかもしれません。

動物の死も普遍化できるものではありません。その動物が生きてきた歴史はさまざまであって、そのご家族のおもいも一様ではありません。闘病の末に永遠の眠りについた犬や猫を前に、あるご家族は(動物自身もご家族自身も)やりきった、がんばったというおもいを持ち、まだあたたかい体の動物を触りながら、ときにあたたかな笑いさえ出るときもあり、反対にあまりに突然の死に動揺するご家族もいます。ひとつのご家族のなかでも、号泣する人もいれば、運命にはあらがえなかったと考えて気丈なところを見せる方もいます。

愛する動物の死に対して、どうふるまうか。そのふるまいを通じて、はじめて、そのご家族のおもいを知るということもあります。

『死を生きた人びと』。ひさびさに、自分の世界認識や死生観に影響した本です。だれもが必ず死にます。万人におすすめします。