「わたしは平凡な言葉を美しいと思うようになりたい」という井伏の言葉があるが、本書にもその思いがこもっている。

井伏鱒二さんの作品は恥ずかしながらきちんと読んだことがありませんが、すばらしい言葉だと感動しました。

そう、そのとおりだとおもう。言葉はもちろん、空、水、空気、道端の草花、あるいはそうしたものの総体である日常生活、そうしたあらゆるものを美しいと思うようになれたら、私がどんなに「平凡な」人間だとしても、とてもいい人生を送れるのだろうとおもう。

上の一文は、毎日新聞の書評欄から抜粋しました(9月18日付、川本三郎評・野崎歓著『水の匂いがするようだ 井伏鱒二のほうへ』)。

井伏鱒二は釣りを愛した。その釣りから論じられるのだが、井伏の釣りは釣果を誇る勇ましい釣りではなく、むしろ釣れなかったことに思いを託す優しい釣りだったと親しみをこめて指摘する。

ここで早くも井伏文学の核心が見えてくる。勝者や勇者より、失敗した者のほうを愛する。同時に逃げていった魚に思いを寄せる。魚の棲む奥まった静かな水辺を見つめる。

さて、今回の記事は非番のとき、獣医師はどんなふうなことを考えて休日を過ごしているか、というのがテーマです。本当はそちらを先に書こうと思ったのですが、井伏さんの言葉があまりに素晴らしかったので、病院の仕事とは無関係にご紹介しました。

私の休みは基本的に木曜日(海浜動物医療センターの休診日)プラス平日の1日です。月に8-9日のお休みを頂いています。

私が休みの日でも、当然、病院はやっています(休診日でも当番の看護師、獣医師が海浜動物医療センターに出勤しています)。なにかあれば、私に電話がきます。スマホの着信音は大きめにしていますが、お尻のポケットに入れているので、自転車をこいでいたり、次男を抱っこしてせこせこ歩いていたりすると、着信に気づかないこともあります。電話をかけているスタッフの立場からすると、なかなか連絡がとれないというのは心理的に負担です。そうならないよう、15分間隔でスマホに着信がないか、画面を見ます。せわしない? 実際にはついチェックを忘れて、30分間隔になることもあって、慣れるとそれほどのことではありません。それよりも、固定電話しかなかった時代ではできなかった、いつでもどこでも連絡を取り合えるメリットは、この仕事ではとても大きい。ありがたいことです。

「あの子はどうなったかな」「◯◯ちゃんは治っただろうか」「K獣医師に引き継いだ△△ちゃんは診察に来ただろうか」

休みの日でも、自分が担当している動物のことが頭から離れることはありません。頭をすぱっと切り替えられるプロフェッショナルな方がうらやましい。私はプライベートの時間でも、どうしても仕事のことを気にするたちで、昔付き合った恋人からは「オンオフの切り替えができないなんて・・・」と非難されたこともあります。さいわい、いまの妻は病気の動物のためにがんばって仕事をしてほしい、と考える人間なので、私の切り替えが下手なことに不平を言うことはありません。

先日、院長と話をしたときにも「そういうこと(休みのときも症例のことが頭から離れないこと)が嫌なら、この仕事を辞めるしかない。我々の仕事はそういうものなんだよね」といった結論になりました。

仕事優先というのは最近流行らないかもしれませんが、私は仕事を優先することが多々あります。妻と子どもたちには迷惑をかけていますが、なんだかんだいっても、この仕事が性に合っているのでしょう(性に合っていることと、才能があることとは別問題で、私が優秀な獣医師なら、どんな診療も的確にできて、休みの日に心配したり、悩んだりしないですむのでしょう)。

写真は少し前の空。美しいですね。「国際雲図帳」によると、上層雲・巻雲にあたるみたいです(ネット検索して、私がそう判断しました。間違っていたら教えて下さい)。